
■輸入、生活様式の変化と衰退
戦後に入ると、中津の職人達は台湾において安い箒草を仕入れることを目的とした技術指導を始めるようになる。
やがて台湾での製造技術も高まり、原料の箒草だけでなく加工された箒が安価で日本に輸入される事となり、その結果日本の箒産業は
大きな打撃を受けることとなる。
昭和30年代になると電気掃除機が普及し、また生活様式も変化し、箒の需要は一気に衰退する。その後、料亭・旅館など一部の需要に支えられ細々と続いたが、
機械生産の安い箒も出てきたことから、現在では自家用中心箒となっている。
現在の中津箒
市民蔵常右衛門では、かつての箒作りを復活させるため、原料である箒モロコシ(ホウキグサ)の無農薬栽培を進め、
多数イベントへの出展や企画、販売などにより文化の復興を試みている。
愛川町では既に高度な技術は継承されていないが、かつての京都支店においては地域文化の刺激の中で職人技術が息づいており、
過去の箒技術を元に時代にあった用途で、新たな作品が編み出されている。
また、近年箒の文化に興味を持つ若者なども加わり、新たに活動を展開している。